些事の迷図

取るに足らない日々の雑感その他をブリブリとひり出していきます

トランプの入国規制

この施策を支持するアメリカ国民てどれくらいいるんだろう?
少数なのかもしれないし、ひょっとすると大統領選みたいに隠れ支持者は結構いるかもしれない。全然報道はされないけど。
まぁ多数だろうが少数だろうが、数=正悪ではないんだよね。
結局、どちらが否定されるべきポピュリズムで、どちらが良い民意なのかってのは、誰がどう決めるの?

 

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同質性と多様性

大抵の場合において、同質性ってのは否定的に、多様性ってのは肯定的に捉えられる。確かに同調圧力に辟易とする事も多いし、多様性という言葉で自分の持つ少数派的側面が肯定されるケースもあり、その方向性を丸ごと否定するつもりはない、のだけれど、何でもかんでも同質性を求めるのはダメな事で、多様性はどこまでも認められなければならない、みたいな風潮はちょっといかがなものかと思う。

ある集団の構成員の同質性が高い事の良さ、多様性が低い事による良さ、というものも時にはあるだろう、という事をもっと認識した方がいいんでないの、と思う。逆ももちろん同じであり、要はその両面を同時に考える風潮が高まってくれないもんかな、と思ったわけであり。

こういう二律背反的な概念というのは、アクセルとブレーキみたいなもので、時と場合によってどちらも使うう事が大事なんであって、仮に世の中がどちらかの方向性を持っているとしても、この場合で言うなら世の中は基本的に多様性が増す方向を持っているとしても、同質性が高い事の肯定的側面や、多様性が増す事の否定的側面も常に意識した上で、時と場合と案件次第では、多様性を抑える方向に、同質性を高める方向に、世の中を変える努力、あるいは変えない努力をしても良いのではないか。

ま、何を見てそう思ったかと言えば、移民問題だ。

さっきニュース23で、トランプがメキシコとの国境に壁を作ろうとしている事を相当否定的に捉えて放送していたが、私には今の米国のゴタゴタというか、社会の不安定性は、行き過ぎた多様性のもたらした弊害が強く出ているのではないか、と思った。分断されたアメリカ、とかいうフレーズがよく使われてるが、トランプは原因ではなくて、結果として見るべき面が強いのではないか。

アメリカはあぁなる前に、多様性にブレーキをかけ、移民を規制し、同質性を高める努力をするステージがあった方が良かったのではないか。行き過ぎた多様性志向が、結局は大きな反動を生み出してしまったのではないか。

移民難民少数派に暴力を振るうような輩や状況は、私も基本的には否定したいと思うが、社会があぁなってしまったらそういう人達が増えるのも分かると言えばわかるし、自分がその中にいたら、そうならないとはちょっと言い切れない。私は人間というのは他者への暴力を肯定・実行する可能性を常に秘めているものだと思ってる。そういうのを有り得ないとか自分は絶対にしないとか言い張れる人の方がむしろ怖いと思う。自分がそうならないように、自分を律するのももちろん大事だが、自分の属する社会の仕組みを整える努力というものもしていった方が良いと思っている。

アメリカ人の白人のおっさんが、自分達が少数派になる不安を喋っていた。それは自然な感情だと思う。しかしその自然な感情を表に出せない、出せばポリティカルコレクトネスとやらにより自分が否定されてしまう社会。「トランプ」はもっと早く出現していてもおかしくなかったのではないか。もし今回トランプが負けていても、4年後か、16年後か、後になればなるほど大きな対立が表面化する事になっていたのではないか。

アメリカは移民国家なのにそれを否定するのか、のような意見もあるが、元移民だから無限にあるいは大量の移民を受け入れ続けなければならない、という理屈を背負い続ける必要があるとは私は思わない。

日本は海に囲まれている地理的条件もあり、それに伴い言語や文化も独自性が高いせいか、移民難民はアメリカに比べれば来る母数も少なければ、受け入れる数も割合も低い。今は。

だが最近は色々な理由で移民受け入れを拡大するような風向きが強くなってきているように思う。

物事にはやってみてダメだったら戻せばいい、というものもある。だが移民問題、これはダメだと思う。アメリカですら、あのようなギスギスした社会状況に陥っているのだ。同質性が高いと言われる日本に、異質な文化の集団が多数入ってきた場合、その軋轢はアメリカ以上になる可能性は高いと思う。

まぁアメリカも日本も、仮に移民問題で国内がギスギスしたとしても、いずれ時間が経てばだんだんと解決していくものだとは思うし、日本はむしろ異文化受け入れの柔軟性を発揮して欧米よりもスムースに移民国家に移行する可能性も、ひょっとすると自分がその方が幸福度が高くなるかもしれないという事は否定は出来ない。ただ、そのギャンブルはしたくないし、いずれそうなると思う事と、近い未来でそれを肯定するかどうかはまた別問題だ。

そもそも移民受け入れそれ自体は「デメリットの方が大きい」と考えるべきなのは、EUがイギリスのEU離脱後のEUとの関係性を決める際の条件で「いいとこどりは許さない」の「悪いとこ」として捉えていた事からも明らかだと思う。そうでないならば経済だけの連携性保持等が成立してもよかったはずだ。

移民というか、国家間の民族・文化的融合は、とにかく長い時間をかけて自然に混じり合うように、どちらかと言えばブレーキをかけ気味にコントロールされてほしいと思う。放っておいても技術の進化は世界の融合性を高めていくだろう。それに対して国の施策は逆噴射をかけ続けて欲しい。鎖国しろとかゼロにしろとかまでは言うつもりはないが、迂闊に緩めるな、と今は思う。