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些事の迷図

取るに足らない日々の雑感その他をブリブリとひり出していきます

差別は絶対にいけない、って考え方は思考停止だと思う

「女性なら社会問題になる事案」 “男性保育士に女児の着替えをさせない”は差別か、千葉市長が問題提起し議論広がる

nlab.itmedia.co.jp

 

それは差別だからダメ、それは区別だから良い、とかいうロジックがよくあるけど、その判断は誰が、あるいはどういうロジックでなされるのか。議論が割れるものってのは結局そこの考え方が是々非々だという事だろう。差別問題に限った事じゃないけど、そういう是々非々は皆がどちらかの陣営に一票を投じて議論されるべき事だと思う。裁判所にしろ、国会議員にしろ、結局は民意の状況を背景に結論を出すわけだろう。それが全てではないにしてもだ。ならばその結論に影響を及ぼす民意の一票は、出したい人が好きに出したものが考慮されるべきだ、と思う。

 

言葉の定義の問題でもあるが、良し悪しを度外視した「差をつけて扱う事」を表す言葉がまずあって、その具体的内容に対して良し悪しがその都度議論されるべきだと思う。

「差をつけて扱う事」は必ずしも悪いわけではないだろう。だけどここがよく「それは差別だ、すなわち悪だ」と一直線な考え方になってる人が多いように思うが、ちょっと待ったりやと思う。

 

例えば女性専用車両は差別ではないのか。差別だという人もいれば、差別ではないという人もいるが、生まれながらにどうにもならない理由で「差をつけて扱う事」である事を否定出来る人は、恐らくいないはずだ。ぶつかり合っているのはその「差をつけて扱う事」が良いと思うか、悪いと思うか、だろう。

 

例えば外国人が日本に来て、無条件に日本国民になれないのは差別だ、と言ったらどういうロジックでそれを否定するのか。さすがにそのレベルを差別だ、と主張する日本人はあまりいないと思うが、生まれながらにどうにもならない理由で「差をつけて扱う事」には違わないだろう。ではなぜそれは差別ではないのか。日本人の多くがそれは良いと思っているから、だけだろう。まぁ日本人以外もほとんどはそう思ってるとは思うが、例えば難民移民や貧しい国の人の中には「それは差別だ」と主張する人がいてもおかしくはあるまい。それを封殺しているのは、ロジックではなく、単なる「多数の状況」だろう。とはいえ、国籍ならばともかく、参政権レベルになると日本の中でも結構意見は分かれるようだが。

 

例えば入墨の入浴施設入場問題はどうだ?別に生まれながらの条件ではないが、差別だという人もいれば、差別ではないという人もいる。だが「差をつけて扱う事」の1つではあるだろう。

 

言いたい事は、「生まれながらの理由でどうにもならない条件で差をつけて扱う事」であっても、それが即座に「悪い差別」になるかどうかはまだ未確定であり、それはその集団に属する人達が是々非々のおしくらまんじゅうをして決まるべきだ、と思う。そしてその為には、一旦「差別は絶対にいけない」という考え方、フレーズをリセットした方が良いと思う。その差別は良いか悪いか、という議論がされるべきだと思う。まぁ別に差別か区別か議論でも良いんだけど、差別と区別の定義って何だよってなった時点でもう善悪判断が混じってくるから価値観が異なるともう言葉の定義の時点で共有出来ない、議論がかみ合わなくなる。

 

なお私個人としては、それが良い差別か悪い差別か、の切り分けとしては、大雑把には「どちらかの陣営がかなり可哀想であると思える」ならばそれは悪い差別、そうでないならば良い差別もしくは仕方ない差別、という感じだ。

 

可哀想かどうか、なんて主観的な物差しで良い悪いが決まっていいのか、という文句が来そうだが、私は良いと思ってる。ゴキブリを殺す道具が笑顔で宣伝されて商品が店に並ぶのは良いが、犬や猫に対して行うものが同じように社会に存在するのは嫌だと思う。だって犬猫を「積極的に殺す」のは可哀想だと思うが、ゴキブリに対してはそれほど可哀想だとは思わないからだ。(もっとも保健所の殺処分に対する考えは必ずしも絶対否定ではなく、現状では必要悪な面もあると思っているが。論理がブレている、と言うならそれでもいいが、私は優先度の問題だと思っている。)

 

さて本題。「男性保育士は女児の着替えをさせない」は悪い差別か?女性保育士に比べて、男性保育士の方が仕事のパイが減るという面では微妙だとは思うが、子供の集団は基本的に男女ほぼ同数いるものだし、男性保育士の方が力があるだろうという統計的状況からその観点からの仕事の需要もあるだろうし、「女児の着替え補助が出来なくて辛くてたまりません」なんて男性保育士がいたとしても別に私は可哀想だとは思わないし、まぁ「男性保育士は女児の着替えをさせません」という事を掲げる保育園幼稚園があっても別にいいんじゃないの、と思う。もちろん「男性保育士にも女児の着替えはさせます」という所もあっていいと思う。恐らく前者の方が需要は大きいように思うので、料金的な差が出てきて、相対的に男性保育士の方が高給を得にくい、という状況につながり得るかもしれないが、まぁ、仕方ないんじゃないのか。

 

私は男性と女性が全く同じに扱われるような社会を望んでないので、当然逆に女性が女性だからという理由で割を食うような雇用状況があったとしても、可哀想と思うレベルでないならまぁ仕方ないんじゃないの、と思っているからだ。

 

差別主義者と呼んでくれて結構だ。というよりむしろ呼んでくれ。まぁ匿名ブログだけど。もちろん日常生活でこんな事は言わない。隠れ差別主義者だが、自覚のない思考停止よりはマシだと自分では思っている。そうでないという人は、難民移民外国人が即時に日本国民になれる日本を否定しないのだろう。私の一票はそれを否定するが、賛成の一票を消す事は出来ない。

 

社会には適切な差別はあるべきだと思う。もちろん悪い差別は無くしていくべきだとも思うが。