些事の迷図

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差別と排除は社会の要諦

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それを否定するという事は、日本の国籍と領土を「無条件に」非日本人に明け渡して良いという事とイコールのはずだが、そこで賛同する日本人はたぶん少ないだろう。少ないんじゃないかな。少ないといいな。

が、タイトルのようなフレーズを肯定する事は、大多数の日本人は受け入れないだろう。なぜなら差別はいけない事だと思ってるし、自分は差別なんかしない人だと思ってるからだ。まぁ自分をどう定義するかは自由と言えば自由だが、自己矛盾や現実乖離した思想に取りつかれる事はストレスたまって良くないと思うんだがな。バグのあるプログラムが仕込まれたロボットみたいなもんだ。社会にはどうにもならない矛盾を背負わざるを得ない事もあるだろうが、デバッグ出来る事はデバッグしていった方がいいと思う。自分達が肯定する差別と排除があるって事をもっと多くの人が自覚した方が、よい社会になると思うんだがな。

閑話休題蓮舫さんの問題は、問題視している人達からすれば、二重国籍だったかどうかが問題なのではなくて、蓮舫さんが蓮舫さんである事、彼女の思想、物言い、立場、影響力、存在そのものが問題なんだろ、と思う。例えばこれが金美齢さんのような主張の持ち主だったら、たぶん右の人達もほとんど文句なんか付けないんじゃないんだろうか。

一言でいえば、好きか嫌いか、それだけだ。感情論だ。が、私はそれは社会においては大事な事だと思う。我々は、自分達の肯定する秩序を崩壊させうる可能性を持つ人や主張や文化を嫌う。これは右も左も、およそ社会性を持つ全ての人間に共通の性質だと思う。そういう意味で、いわゆるヘイトスピーチとやらをやる方々も、いわゆるカウンターデモとかをやる方々も、反対陣営の思想や存在が憎くてたまらない、という意味では双子みたいなもんだと思う。

しかし最近の政治ニュースとか見てると、右と左というか、保守とリベラルというか、与党と野党というか、安倍派とアンチ安倍派というか、がお互いに逆噴射しあってるというか、オウンゴールを競い合っているというか、そういう感じに見える。まぁ間接民主主義ってのはそういうものなのかもしれんが。