些事の迷図

取るに足らない日々の雑感その他をブリブリとひり出していきます

ポピュリズムってなんじゃい

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自分の気に入る結果の時は民意の勝利で、気に食わない結果の時はポピュリズムと言っている、としか思えないんだけど。

その自分達の意見こそ正しいって考え方って、 

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という主張と五十歩百歩じゃなかろうか。まぁこの香山リカ氏の意見が間違ってるかどうかもまた要議論なのかもしれんけど。

高村氏は

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私が考える『許せないポピュリズム』は、選挙に当選するために、あるいは人気を得るために、政策を曲げることです。

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と言っているが、この人集団的自衛権について主張が変わってなかったっけ。選挙に当選する為に変わったわけじゃなくて、政治家として勉強したとか、状況が変わったから主張が変わったのであって、それは良い変化だというの?では同じ事を高村氏が嫌うという政策変化をした人が言ったらなんて言うんだ?俺の変化は正しい変化だが、お前の変化は間違った変化だ、というの?あるいは世論なり国民なりの多数がどうジャッジするかに委ねるのか?国民の多数が良いと言えば良くて、悪いと言えば悪いのか?なら最初からあらゆる案件を国民投票させる仕組みこそが素晴らしいのか?それとも最高裁判所様が正しいと言えば正しいし、間違ってると言ったら間違ってるの?ほなアレもコレも最高産場所様に決めてもらえばえぇんか?ナニは最高裁判所様でも正しくないかもなんや?

呉智英氏は与謝野氏の発言から
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「民主主義の中で、『国民の声』というものが、必ずしもいつも正しいとは限らない」「残念ながら、国民は楽な道を喜びがちです」
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という言葉を肯定的に引用してるけど、この言葉に何の価値があるというのだろう。「国民」を「政治家」に変えようが、「役人」に変えようが、「専門家」に変えようが、「アメリカ様」に変えようが、全部成り立つ言葉じゃないか。必ずいつも正しい答えをはじき出す存在なんて、数学とか物理学の学問の中以外の社会に存在するのか?

どんな政治の仕組みだろうが、自分の気に食わない結論になる可能性はあるだろう。「自分が独裁者として君臨出来る政治体制」ならばそうならないかもしれないが、思考実験としてはともかく、他者と共有出来る概念ではないわな。

結局ポピュリズムを否定しようとした場合に、どういう仕組みにするのが良い、という所まで踏み込んでる人ってあんまり見た事ない、ぱっと思いつかない。もっと民衆はカシコくなれよという感じの、仕組みじゃなくて中身が変われという意味の意見ばかりだけど、なんかそれってトートロジー的というか、腹が痛いという患者に向かって腹が健康になれば痛くなくなりますよ的な意味の無さを感じる。うんまぁ長期的展望としてはそうなんだけどさ。

選挙権を免許制みたいにして、一定の点数以上に到達できないと選挙出来ないようにする?その免許試験なり、点数の設定なりを、誰がどう決めるのさって点で、共有性の低い案だよなぁ。

教育制度を変えれば民衆が賢くなって、ポピュリズムが減衰する?んでその教育制度をどう変えればいいんだ?それはポピュリズムを憂う方々の中で、共有性は高いのか?では実現可能性は?

政治家と役人の権限をうんと強くしてしまえばいい?まぁ、確かにそれならポピュリズムにはなりにくいかもしれん。ただそれって、政治家や役人という属性を持たない多数の人にとって良い状態か?

うーん、難しい。

それにしても、自分の気に食わない多数決の結論に貼ってるレッテル、以外の意味でポピュリズムという言葉を使ってる意見はあるのだろうか。客観的に、こういう場合の多数決の結論はポピュリズムであり、こういう場合はポピュリズムではない、ってロジックはどこかに存在するんかな。見た覚えがないのは、私が愚民だからなのだろう。